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他責と自責、どちらも問題

他責な自分を戒める良策は自責を意識することだ.........は本当?
本日は”責任”についてです。

自分はついついうまく行かないことがあると外部環境や他者の責任にしがちだ。
こんな自分を変えるために自責思考を心がけるがうまく行かない。


こうした相談を受けることがあります。
私はまずもって、こうした悩みを抱える人を讃えることにしています。
なぜか?
こういった悩みこそが、他責的でないからです。
真に他責的な人は、自らを省みることはない。ゆえに他責なのですから。
7つの習慣の原則の一つに自己責任の原則というものがあります。

自己責任の原則
問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である


自己責任の原則は、自身のものの見方(パラダイム)に関わるものですから、自覚的になることは非常に難しい。
「他責思考を脱却したい」ともがくことは、自らのパラダイム克服の第一歩と言えるでしょう。


ちょっと話がそれてしまったのですが、
一般によく言われる「他責な自分を戒める良策は自責を意識することだ」という言説は、よく吟味しておく必要があると私は感じます。
なぜか?
無理することになるからです。
どんなに努力しても「でも本当はあいつも結構悪いよな・・・」という自分の感情自体は消せません。
それを無理やり「いや、自分が悪いんだ」と再解釈しようとしても、それは理屈の上で納得しようとしているだけです。
結局は感情的な憤懣が募って爆発してしまう可能性が高いでしょう。
自動車同士の接触事故を例にとればわかりやすいですが、責任が10:0のケースはほとんどありません。
他者にも自分にも、結果に対する責任はあるのです。その責任割合はいろんな角度から、無数の考え方があるがゆえに正しくは計れないでしょう。
責任をとる対象を特定しようとする心性がある限り、それが他責だろうが自責であろうが、冷静に、フラットに正しく状況を洞察することは出来ません。
そうした心性ではなく、「どうすれば望ましい未来・結果を生み出せるのか」という合目的的なパラダイムの元、自分を客観視することが必要です。
自分を、他者を、望ましい結果を生み出すためのインスツルメンツ(道具)として見立てた発想が必要なのです。
具体的には、

自分はついついうまく行かないことがあると外部環境や他者の責任にしがちだ。
こんな自分を変えるために、
まずは望ましい未来や結果を明らかにしよう。
次に、その未来や結果を得るために、他者・自分を含めたリソースをどう組み合わせるのが最善なのか明らかにしよう。
最後に、この未来や結果得るために、効果的に他者を巻き込む方法を明らかにしよう。

こうしたアプローチが最良だと思います。
こうした発想に基づくとき、意識・スキル面でさまざまな制約を持つ他者と自分が共同でよりよい成果を上げていく、、仕事とはそうしたゲームだということに気づくことができます。
そうなれば、他者に意識・スキルが伴わない状態でも、嘆くことはもはやないのです。それは直面している”状態”であり、乗り越えるべき”課題”に過ぎないからです。
こうした発想が7つの習慣でいう第1の習慣、「主体的である」ということなのです。