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実存的不安について

本日はちょっと難しいですが、わかる人にはわかる話です。
コーチングを行いながら時に無力感に悩まされることがあります。
そんな時の典型は、相談者の「実存的不安」を扱っているときです。
私が感じている無力感の背景に触れる前に、「実存的不安」について解説しましょう。

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ドイツの哲学者ハイデガーは、世界には「道具的存在」と「現存在」の二つの存在形態がある、と言いました。
道具的存在は本質、つまり「それは何のためにあるのか(目的)」が、実存、つまり「それがあること(あること自体)」に先立ちます。
例えばテーブルという存在を考えてみると、テーブルはいきなりテーブルであったわけではありません。
そこで食事をするために、職人さんが作ったのです。ゆえに、テーブルは本質が実存に先立っている道具的存在と定義されます。
それとは対称的に、現存在とは、目的云々以前に実存、つまり在るという事実自体が先立っており、必要に応じて後付けで本質を画定していく存在を言います。
”地面の土”なんかは現存在なのでしょうが、耕して種を蒔くことで食物を育てるという本質が生じるのだと思います。
人間はどうでしょうか?人間は何かの目的のために作られた道具的存在といえるでしょうか?
これに対する考え方は文化背景・社会背景などによって答えが分かれると思います。
例えば、進化論的な考え方では、人間は子孫を残すために作られた、というアプローチがありえるでしょう。
昨今の心理学的な観点からいえば、自己実現が目的であるという観点が出てくるかもしれません。
しかし本当にそうかと確証を持って答えることは、人間にはできそうにないと思われます。
そんな理由からハイデガーは人間は「現存在」だと言いました。
人間は、なぜかはわからないけど、そこにあってしまったがゆえに、時に人間は不安を感じてしまうのだというわけです。
それがいわゆる実存的不安といわれるものです。
実存的不安は「自分は何のために生きているのか」という哲学的な問いにおいてのみ発現するわけではありません。

 「なんとなく空虚だ」
 「やる気がおきない」
 「自分のやりたいことは何なのか?」
 「自分には存在価値がないのではないか?」
 「いつも失敗するイメージを感じてしまう」
 「自分に対するネガティブな感情にとらわれてしまう」


こういった問いも実存的不安の亜種といえると私は思っています。
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冒頭で私は、上記の意味における相談者の「実存的不安」を扱う際に無力感を感じると書きました。
実際、「実存的不安」は1時間かそこらのコーチングで解消される類のものではないため、傾聴するより仕方ない場合が大半です。
経験上、特定の「実存的不安」を払しょくするには数年を要すると思っていますし、最終的には自分で乗り越えていくしかありませんので。
ちょっとオチが乏しいのですが、とはいえ実存的不安について傾聴してもらうことで一旦気が楽になったり、考えが整理されることも事実です。

 「なんとなく空虚だ」
 「やる気がおきない」
 「自分のやりたいことは何なのか?」
 「自分には存在価値がないのではないか?」
 「いつも失敗するイメージを感じてしまう」
 「自分に対するネガティブな感情にとらわれてしまう」

こんな感情がある方も適宜ご相談ください。
というのが結論です。

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コメント: 1
  • #1

    ひろ (月曜日, 18 11月 2019 23:29)

    自分は強い実存的不安を抱えています。
    普段は存在不安と呼んでいます。
    最近読んだ『自由からの逃走』という本の中では「非理論的な懐疑」というような表現がされていました。
    宗教はこの不安に根差しているものが多いように思えます。
    幸せに成功するためにはこの不安は払拭する必要があると思います。
    ただ、この不安を抱えたままガムシャラに働きワーカホリックになって社会的に成功する人もいると思います。
    長々と失礼しました。